diary, Wearable

持つと着ける、は大違い

26 6月 , 2015  

第2回Wearable Tech Expo in Tokyoが、9月に迫っている。
私は、およそ一年ちょっと前、このエキスポを初開催し、スマートグラスや運動量センサーなどの「ウェアラブル・デバイス」のありとあらゆるモノに触れ、その機能と用途をほぼ網羅した。それゆえに、そこから“ウェアラブルの専門家”として、さまざまなお声を方々から掛けて頂いている。

ただ、およそ1年半経った今でも、まだウェアラブルは、アーリーアダプターのもの。
つまり一般層まで、その認知や普及は、まだまだ届いていない。
私上路も、ウェアラブル、IoT、AIなどを広く網羅しているが、個人的にはここ一年ほどは、VR(ヴァーチャルリアリティ)を作る方に、興味がいってしまっている。


“ウェアラブル”って響き的には「一番人間に近いモノ」なはずなのに、
この、いまひとつ人に近づけていない理由は、いったい何なんだろう。

私上路は、大きく2つの理由があると考えている。

1. “手”が究極の直感的コントローラー
当たり前だけど。
ま、逆に言うと、頭とか目元、または首や腕であっても、手以外のところでの「操作」に人間は慣れていない。
人をとっさに攻撃するビンタも手。それをとっさに防ごうとするのも、手だ。

手以外の操作方法として、ウェアラブルで最も注目度が高いのは、ハンズフリー環境下における「ボイスコントロール」。
つまり“声で操作すること”だが、指先でする操作をわざわざ“喋らなきゃならない”ってのは、手間という尺度でみると、人によっては“しゃべる”方が面倒くさい。
しゃべることが生きがいな明石家さんま的な人には良いかもしれないが、多くのシャイな日本人には「しゃべる」ということは、指先を動かすことよりもよっぽど手間なのだ。

また手を動かさなくてもいい、という反面、ボイスコントロールには、人が求める「正確さ」を返す機能がない。
手による操作の場合、その「正確さ」を担保するのは、“触感”だ。
確かに触った、押した、キーボードの“タッチ”が心地良い、などと言う感覚。これが操作の確実性を人に返している。
人は、手の触感によって操作の実感を得る動物なのだ。

ところが、ボイスコントロールには、気持ち良い「操作実感」を返す機能が、まだない。

そういう意味では、ウェアラブルのコントロールのUI(ユーザーインターフェイス)は、ボイスコントロールではないのかもしれない。
この「操作実感」は、ゼスチャー認識による操作においても、非常に重要な要素になると筆者は考えている。


2.保護という恩恵

人は基本的に、できることなら、何も着けたくない動物じゃなかろうか、、、と、たまに風呂上がりに思ったりする。
裸って最高。

では、なぜ服を着るのだろう、という疑問を掘り起こしてみると、それは、気温の変化や日光から身を守るため、という答えにたどり着く。
生理的安定や病気からの「保護」というのが、本来、人が洋服を着る目的だったようだ。
まあ確かに、人に見せる必要のない下着なんかは、そういう用途以外の目的はないだろう。

今、ウェアラブルデバイスを身につける、まさにウェアすることで、「身体の保護的な恩恵」があるものって、あるだろうか。

基本、手に持って使うスマートフォンを超える常時性をウェアラブルデバイスに期待する場合、それを常に着けてもらうには、それ相応のメリット(恩恵)を返してあげなければならない。
多分そのメリットとは、「情報」や「便利」ではないのだ。

ちょっと前に、自転車用のエアバッグを搭載した服というのがあった。
HOVDING


ちょっと可能性を感じる。高いけど、おしゃれだし。
何より、服本来の目的に沿っている。

洋服の本来の目的を、さらに拡張できるウェアラブルが、今後のウェアラブル普及を推進するかもしれない。

最近Googleが発表した、服の生地そのものをセンサーにするプロジェクトは注目だ。
バイオテクノロジーでアーティストとしても有名な福原志保さんをはじめ、日本の工場なども関わっている。



散漫になってしまったが、「持つ」と「着ける」。
その距離は近いようで、遠い。

IoT時代の壁側のセンサー社会において、ウェアラブルは、身につけるべきものと、壁側センサーに委ねるべきものの、線引きが重要なポイントになるだろう。


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